私のしあわせについて。

担当が大好きなだけの誰かの、自己満足な日記帳です。これを読んで誰かが何かを感じてくれたらいいな。

一緒に住むということ。

私の彼氏いない歴=年齢なことは前の記事に書きました
そんな私が、初めて好きな人と暮らせたのがこの1年半でした
今書き出すと、しあわせだったことしか出てきませんが、ちゃんと全部書きます

元々は、一緒に住む予定ではなく、お互いに実家を出たくて、でも1人暮らしは不安で、
隣同士で部屋を借りよう、そう提案してくれたことがはじまりでした

ただ私の家が厳しく、保証人になってくれる人がいなかったのでそれを伝えると「一緒に住もうか」と言ってくれて、一緒に物件を探したのです

一緒に住むことを決めてから2週間経たずに契約も済ませて引っ越し、私と担当はお互い初めての同棲をはじめました
実家から出たことのなかった私には、全てが新鮮で毎日がたのしかったのを覚えています
私は不眠症だったのですが、大好きな人と一緒に寝ることでそれも改善して、本当に充実していました
寝坊したら同伴したり、深夜に手を繋いでコンビニに行ったりと、当たり前の日常が今では全部がすごくキラキラした思い出です
最初はそれを「しあわせなことだ」とちゃんと認識できていました

その気持ちを忘れなければ、と考えない日はありません
きっと私も担当も変わってしまった、日常を「しあわせ」と捉えずに「当たり前」と捉えてしまったのだと思います
私は増える被りにイライラして、担当はそんな私にイライラして、
それで私のモチベーション、接客態度、稼ぎが落ちて担当の求めるものには到底追いつかなくなって

その結果、「出稼ぎに行け」と言われるようになり、
最終的には出稼ぎ中に家を出て行かれてしまいました
私だけが悪かったわけでも、担当が悪いわけでもないと思っています
それでも私は、しあわせでした

どうかもう1度、あの日常が戻ってきたら今度こそはそれを失わないように振る舞える自信が、私にはあります
例えば店休を被りに使われた日、私とはあそんでくれないのにと拗ねたけど「おつかれさま」って言ってあげること、
例えばアフターで昼前まで帰ってこなかった日、誰と何してたのって詰めてたけど「帰ってきてくれてありがとう」って迎えてあげること、
私にはその余裕がなかったんです
自分の気持ちばかりを優先して、不安な気持ちを免罪符に相手をたくさん傷付けてきました
傷付いたのは私だけではないし、今私が感じている痛みや苦しみは担当を傷付けた報いだと思っています
ちゃんと償うから、もう1度だけチャンスをください

一緒に住む、ということはたのしいことだけではありませんでした
私には初めての経験、理想ばかり押し付けてきたところが多かったな、と反省しています
一緒に住む、ということは、相手の嫌なところを見ることでもあります
お互いに許しあうこと、妥協すること、それを自然にできること、
言葉にすると簡単に聞こえるし、自分はできていると思っていても案外それが難しかったりします

私は忘れたくありません
たのしかったこと、うれしかったこと、
悲しかったこと、苦しかったこと、
言い合いになったこと、私がわかってほしかったこと、
全ての感情が今の私を作っていて、それがいつか私を強くしてくれるはずだから

少しずつでも前を向いて進んでいきます
立ち止まっていても何も戻ってこないなら、
進んだ先でまた交われるようにがんばるだけ
たくさん思い出をくれてありがとう
こう思わせてくれてありがとう

いつかまた、2人で笑って暮らせると私は信じています


肉塊ちゃん