私のしあわせについて。

担当が大好きなだけの誰かの、自己満足な日記帳です。これを読んで誰かが何かを感じてくれたらいいな。

風俗という仕事について。

私が風俗を始めたのは、元担がエースに未収を飛ばれたときでした

私は高校生のとき、趣味だったアニメのグッズ収集のために処女を売ってから援助交際を続けていたこともあり、初対面の人とセックスをすること自体に抵抗は全くありません
ただ、彼氏いない歴=年齢という経歴と、外出先のトイレすら抵抗のある潔癖症(自分とか友だちとか、距離感の近い人の生活空間は汚くても問題ないけど他人の生活してる場所が苦手)があって、キスとフェラはどうしても抵抗があります
それは色々と経験した今も変わりません

初めはリフレでした
基本サービスは添い寝、おしゃべり、
オプションでハグしたり裏オプションで手コキしたり、こんな簡単なことで稼げるんだな、と思いました
キスもフェラもしなくていい、と言われて、本番をしたこともあります
ですがそのお店が摘発されてしまい、別のリフレでは殆ど稼げず、次はオナクラに行きました

オナクラは仕事内容自体は簡単で、体に負担もなかったのですが、単価が低く、1日で稼げる額に限界がありました
新人期間を過ぎると、出勤時間が短かったことも影響したのか、お茶を引くこともありました
そして次は、性感エステ店に移ります

性感エステは大変でした、
風俗店とはいえ、マッサージのテクニックが必要です
長いネイルが好きだった私は、泣く泣く爪を切りました(それでも他の子よりは長かったですが)
手もつかれるし、体力もいる仕事だったので、忙しい日は仕事が終わるころにはヘトヘトでした
オプションを取ると、単価は良かったですが昼職と掛け持ちだったのでかなりキツかったです
このお店は、グループにオナクラもあったので両受けにしていました

ここまでは昼職がメインで、休みの日や週末の夜は風俗で働き、それ以外の日はスナックに出たりしましたが、家の門限が厳しく、基本的には22時には家に帰っていたので今思うとそんなに大変ではなかったのかな、という印象です
それでも当時の私にとってはたくさんがんばったつもりでした

昼職で有給を取って、近場で短期間の出稼ぎに行ったこともあります
当時無知だった私は、条件の良すぎる詐欺求人に引っかかり、オナクラに行ったはずなのに系列のデリヘルで働かされました
それが初めてのデリヘルでした
どうしてもキスとフェラが嫌で、それをしなければいけないなら帰る、と言った私に、お店は「素人感出るしゴムフェラでいいよ、キスも適当に躱してくれて構わない」と言って、私はその条件で働きました
デリヘルの出稼ぎは仕事内容は違ったけれど誇大求人に出ていた金額より多く稼げました
でもどうしても、キスとフェラは仕事だと割り切ってすることができませんでした

それをできるようになったのは、今の担当に出会ってからです

元担のときはお店でたのしくお酒を飲んでいて、未収を飛ばれた元担に対して「私ができる範囲で助けてあげたいな」という感情はあったものの、ガチ恋ではありませんでした
その頃は好きだと思っていたし、この人のため、という意識もありましたが、いろいろあってたのしくお金を使えなくなった、という理由で切れたので多分そういうことだったんだと思います

今の担当に出会って、元担のときとは比べ物にならないくらい大切にしてもらって、私はその恩返しがしたいと思いました
相手はホストなので、お金でお礼をするしかない、と思いました
その気持ちで私は覚悟を決めて、デリヘルで働き始めました
今は出稼ぎ先で新人でも稼げないことが多いのですが、当時の在籍は新人というだけで鳴りがすごくて、おかげで担当にたくさんお金を使えました
それがうれしくて、私は今もデリヘルで働いています
やっぱりデリヘルは合わないし、キスも気持ち悪い、慣れたとは言っても体調の良くない日はフェラでえづいてしまうときもあります
だけど私をこうやって稼げる女の子に変えてくれたのは紛れもなく大好きな担当でした
だからきっと、私は担当がいないとこの業種は続けられません
だからその点に関しては、担当に感謝しています

風俗というのはどの業種もつらいです
大金を稼げる分、未来も精神もすり減る仕事です
軽率な気持ちで飛び込んでいい世界ではないです
でも私は、この仕事をしていなければ出会えなかった人や、知ることのなかった経験もあると思います
だからこの仕事が大嫌いで大好きです


肉塊ちゃん

私がホストにハマるまで。

私が初めてホストに行ったのは4年前でした
具体的な年齢を書くと今の歳がバレるので詳細は伏せます

初めてのホストは偶然キャッチされた旅行先のミナミのマイナー店、
ホストに詳しくなかった私が知らなかったのと店名覚えてないのでマイナー店だったかすらわからないけど、キャストが少なくて箱も小さかったので多分マイナー店だったんだな、と思ってます(もし違ってたらごめんなさい)
初回の安さとキャッチのしつこさ、そしてミナミは旅行で行ってただけだし、と絶対ハマらない自信があったので友人と2人で行きました
記憶にない、という時点で察しがつくかと思いますが、たのしいともおもしろいとも思わず、初回が終わったあと友人と「相席ラウンジのほうがコスパ良くね?」と話したのを覚えています

そこから私は初回荒らしになりました
その頃私は昼職でアパレルをしていましたが、出会い系で援助交際をしたり、固定のパパがいたりして金銭的に不自由ではなかったのと、日常に飽きていて、ホストクラブという自分の知らない異空間が好きだったのだと思います
初回で行って安く飲んで、シャンパンを卸したり卓で担当といちゃついたり喧嘩したりしているお客さんを見て、見下して軽蔑していました
「初回なら安く済むのに何であの人たちはわざわざ高い金額払ってるんだろう」
と、卓に並んだ飾りを見て思っていました
当時初回で行ったお店の名前も、送りにしたホストの源氏名も、会話の内容すら1つも思い出せないくらいに興味がありませんでした

初回荒らしにも飽きた頃、元担に出会います
一応説明しておくと元担、というのは元担当のことで、今は切れてしまった前の担当です
同じ職場で働いていた、中学時代からの仲の良い友人に彼氏ができて、あそぶ相手が減って寂しかったタイミングで、その友人に彼氏との出会いを聞きました
SNSで知り合った、とのことだったので私も彼氏を作ろう、と思いSNSで話が合ったアニメが好きな男性と会うことにしました
そのために鼻にヒアルロン酸を入れたり、新しい服を買ったり、私なりに女の子らしくなれるよう努力をしたのですが、実際に待ち合わせ場所で知り合ったのは小太りで不潔な気持ち悪い男性だったのです
人は見た目じゃないし、話が合うのだから、とその日1日一緒にご飯を食べたりカラオケに行ったりしましたが、一緒に過ごす中で、どんどん嫌悪感が膨らみました
というのも、クチャラーだったり、カラオケで歌っていたらアニメ映像でいちいち早口でシーン解説されたり、私に会計を支払わせたり、と嫌な部分がどうしても多く、耐えきれなかった私は予定より早く解散して、SNSでひまだと呟いていた友人に連絡しました

そこでその友人に連れて行かれたのが元担のお店
その友人はホス狂ではなく、たのしく飲むために店に通っているタイプだったのですが、「ブスの傷はイケメンで癒やそ!」と誘ってくれて、その日初めて、ホストクラブでのたのしい、を知りました
お酒を飲んで、飲ませて、ゲームして、元担とゲームでキスして、延長はしなかったのですが送りでもキスされて、酔った私は気分が良くて、そのまま友人の家に泊まりました
恋愛経験が皆無だった私は、キスされただけで勝手に気持ちが盛り上がってしまったのと、友人も通ってるし、という軽率な理由で初回から3日後に指名を返しにお店に足を運ぶことになります
そこから週に1回、2回、と通うようになったのが、私が初めてハマったホスト、元担とのはじまりでした

既に長文になってしまっているのですが、元担について書くともっと長くなってしまうので元担についてはまた別の記事で書こうと思います
ただ私がホストにハマったきっかけを書いただけのつまらない記事を読んでくれてありがとうございました


肉塊ちゃん

クズが大好きな友だちへ。

クズって中毒性すごいよね、っていつもクズが好きな友だちと話します
クズってなんであんなに女に取り入るのが上手いんだろう、たくさん考えても結局好きだから、という結論にしかならない私たちは、相当頭が悪いんだと思います

世間的に見てクズでも、依存気質な女子から見たらすごく良い人なんですよ
依存させてくれる人と一緒にいる時間はすごく心地が良いんです
でもそれも無限ではない、効力が切れるとモヤモヤしてイライラして、それをぶつける相手は依存させてくれるクズで
まるで麻薬ですよね、私は担当はシャブだといろんな人に言ってきました
そういう連鎖で成り立っているのがメンヘラ製造機のクズとクズ男製造機のメンヘラです
安定した人間関係より、メンタルを上下させられる人間関係のほうが依存に陥りやすいのだと、昔何かで読みました
本当にその通りだと思います

家庭環境や周囲の人間関係、異性関係で失敗したりして自己肯定感が極端に低い人は自分を好きにならない人を好きになります
「私なんか」という概念が常に心のどこかにあって、それを埋めてくれる相手というのは自分に釣り合わない人だから
思い通りにならないことに対して「私がだめだから」と自分を追い込むことで自我を保つなんておかしいですよね
それ以外の生き方ができない、本当に救いようのないクズは私たちなのでは、という結論に至りました

1度なくした自己肯定感は簡単には戻りません
それは私が充分に経験してきました
だからそれはむりに克服しようとしなくていいと思っています
自分を正当化する訳ではありませんが、
そんな部分を含めての自分、と認めることが長い目で見たときに変わるきっかけになったりするのではないでしょうか
まずはだめな自分を理解して受け入れる、それが大事だと思います

でもそれを頭で理解するのと、考えて行動するのとでは全然違って、私にはまだ、自分を変えようと思える強い気持ちはありません
他人のために生きていた人生を、明日から自分のために生きよう、と言われても何もできません
自分のためになることが何かわからない、それなら相手のための行動が自分のしたいことだと思えば良いんです
相手が喜ぶと、自分もうれしい
それなら結果、自分のためじゃないですか
だからこれからもクズに依存して生きていくんだと思っています
好きな人のためにがんばれるメンヘラ、かわいいです
クズ上等、クズ最高です
クズがいたからこそ、私は生きています
クズとの出会いがなければ死にたいと思うこともなかったかもしれないけれど、今生きているのはクズのおかげかもしれません
クズに振り回される人生ごと、クズに翻弄される自分ごと認められたら、何か見えてくるものがあります

宣誓、私たちは今日も明日もクズ男のために生きます!



肉塊ちゃん

一緒に住むということ。

私の彼氏いない歴=年齢なことは前の記事に書きました
そんな私が、初めて好きな人と暮らせたのがこの1年半でした
今書き出すと、しあわせだったことしか出てきませんが、ちゃんと全部書きます

元々は、一緒に住む予定ではなく、お互いに実家を出たくて、でも1人暮らしは不安で、
隣同士で部屋を借りよう、そう提案してくれたことがはじまりでした

ただ私の家が厳しく、保証人になってくれる人がいなかったのでそれを伝えると「一緒に住もうか」と言ってくれて、一緒に物件を探したのです

一緒に住むことを決めてから2週間経たずに契約も済ませて引っ越し、私と担当はお互い初めての同棲をはじめました
実家から出たことのなかった私には、全てが新鮮で毎日がたのしかったのを覚えています
私は不眠症だったのですが、大好きな人と一緒に寝ることでそれも改善して、本当に充実していました
寝坊したら同伴したり、深夜に手を繋いでコンビニに行ったりと、当たり前の日常が今では全部がすごくキラキラした思い出です
最初はそれを「しあわせなことだ」とちゃんと認識できていました

その気持ちを忘れなければ、と考えない日はありません
きっと私も担当も変わってしまった、日常を「しあわせ」と捉えずに「当たり前」と捉えてしまったのだと思います
私は増える被りにイライラして、担当はそんな私にイライラして、
それで私のモチベーション、接客態度、稼ぎが落ちて担当の求めるものには到底追いつかなくなって

その結果、「出稼ぎに行け」と言われるようになり、
最終的には出稼ぎ中に家を出て行かれてしまいました
私だけが悪かったわけでも、担当が悪いわけでもないと思っています
それでも私は、しあわせでした

どうかもう1度、あの日常が戻ってきたら今度こそはそれを失わないように振る舞える自信が、私にはあります
例えば店休を被りに使われた日、私とはあそんでくれないのにと拗ねたけど「おつかれさま」って言ってあげること、
例えばアフターで昼前まで帰ってこなかった日、誰と何してたのって詰めてたけど「帰ってきてくれてありがとう」って迎えてあげること、
私にはその余裕がなかったんです
自分の気持ちばかりを優先して、不安な気持ちを免罪符に相手をたくさん傷付けてきました
傷付いたのは私だけではないし、今私が感じている痛みや苦しみは担当を傷付けた報いだと思っています
ちゃんと償うから、もう1度だけチャンスをください

一緒に住む、ということはたのしいことだけではありませんでした
私には初めての経験、理想ばかり押し付けてきたところが多かったな、と反省しています
一緒に住む、ということは、相手の嫌なところを見ることでもあります
お互いに許しあうこと、妥協すること、それを自然にできること、
言葉にすると簡単に聞こえるし、自分はできていると思っていても案外それが難しかったりします

私は忘れたくありません
たのしかったこと、うれしかったこと、
悲しかったこと、苦しかったこと、
言い合いになったこと、私がわかってほしかったこと、
全ての感情が今の私を作っていて、それがいつか私を強くしてくれるはずだから

少しずつでも前を向いて進んでいきます
立ち止まっていても何も戻ってこないなら、
進んだ先でまた交われるようにがんばるだけ
たくさん思い出をくれてありがとう
こう思わせてくれてありがとう

いつかまた、2人で笑って暮らせると私は信じています


肉塊ちゃん

私について。

私は今までの人生、彼氏という存在ができたことがありません
ジャニーズだったり、二次元だったり、と趣味に忙しく、同級生や周りの男子にどうしても興味を持てませんでした
そのせいで理想が高く、更に貢ぎ体質なろくでもない女になりました

家庭環境は微妙、
愛されていなかった訳ではないと思うけれど、
私には何かが足りなかった、
家族のことは好きですが、未だに何かもやもやとするわだかまりがあります

そうやって少しずつ歪んできた私の感性は、気付けばもう戻れないところまできていました
中学生でサイトで靴下を売って、高校生で処女を売った、
そしてホストクラブにハマって風俗という仕事に就くことになりました
これは私の過去の栄光で自慢なのですが、風俗1本に絞る前、私は某上場企業のアパレルセレクトショップで店長をしていました
年下の部下ばかりで、最年少での店長昇格、シフトも自分で組めて、固定給ももらえて、スタッフとの仲も良く、安定していました

元担のときは昼職とスナックの掛け持ち、たまに有給を使って出稼ぎに行くくらいでしたが、今の担当と知り合って1ヶ月で、私は昼職を辞めました
あのときの行動力は、今思い出すと自分でも驚きます

当時の私は手首を切ったこともなければ薬をODしたことも、仕事で病む、ということもありませんでした
ただただ楽な客だったと思います
でも私の中で担当の存在が大きくなる度、私は変わってしまいました

「私がいなきゃ困るでしょ」
「誰が1番お金使ってると思ってるの」
「やっぱ何かするのやめようかな」
本当に酷いことを、たくさん言いました
担当はその度、私にきちんと向き合ってくれました
そしてそれで私は大事にされてるんだ、と安心する日々だったと思います

月日が経って、担当にも私以外のお客さんが増えました
私はそれもおもしろくなくて「何でそっちとばかり」と怒ったり拗ねたりしましたね
私は目先の嫌なところばかりを見ていて、奥にあるしあわせに気付けませんでした
結局担当が出て行くまで、気付きませんでした

リプライやDM、質問箱で「似たような境遇です」と相談してくれる方がいます
どうか私のように強欲にならないで、現状をちゃんと見つめ直して
好きな人と一緒にいられる、ということには絶対に少なからずしあわせが隠れています
それがどれだけ小さくても、見つけてあげてください
自分の心がしあわせだと思うことにだけ、素直になってください
どれだけつらいことが多くても、1つでもそれを見つけられたら何か変えられると思うから
がんばる女の子が1人でも多く、しあわせになれますように


肉塊ちゃん

担当について。

突然ですが私の好きな人の話をします
突然で興味がないかもしれないけど少し、いや長々と付き合ってください
丸3日くらい息継ぎせずに語れる自信しかないけれど、拙い語彙力で少しでも簡潔に済ませられるよう努力はしたいと思っています(簡潔に済ませるとは言ってない)

私の好きな人、それは担当
担当、という表現がわからない人も中にはいると思います
ジャニーズや他界隈のヲタクであればわかる人もいるかな、とも思いますが、私のいう"担当"はホストです
ヲタクが使う"担当"、"○○担"が"推し"という意味なら私の担当も推しだと思ってもらって構いません
実質推し、単推し、神推し!
銀河が生んだ奇跡の存在、それが私の担当です
失礼、少し取り乱してしまいました
私はよく取り乱すので持病の発作だと思ってスルーしてほしいです
担当とは出会って1年半程、同棲して1年4ヶ月、そして同棲を解消されたのはついこの前でした
付き合っている訳ではなかったです
何故なら相手はホストで、私は店で知り合った客だから

詳しい話は後から書くとして、私と担当は出会って2ヶ月で同棲をスタートさせてしまったため、一緒に暮らし始めた頃はお互いに知らなかったのですが、両者専ら頭がおかしかった
尋常ではなく頭がおかしい
自分で言うのもおかしいし、何がおかしいのかはあまりわからない、でもとにかくおかしいのです

私は担当の髪の毛から爪まで、ありとあらゆる部位を食べていたし、使用済みパンツや靴下、「これあげる」と冗談で差し出してきたたばこの吸い殻までコレクションしてありました
そして担当はそれを当たり前のように受け入れていました
これを世間では"サイコパス"と呼ぶのだと、友人が教えてくれたのですが(笑)

ここだけ説明すると私だけが頭がおかしいと思われるので、担当のおかしいところも紹介しておきます
私と担当は喧嘩をしたことが殆どありません
正確に言うと、私は喧嘩をしているつもりでも担当は喧嘩だと思っていない、という…
私が怒っているのを見て「おもしろいから」と放置していて、泣いても「おもしろい」と放置していました
私はその度更にメンヘラを起こしていました
そしてそれは逆も然り、担当が怒っていても私は「わ〜い、構ってくれてる〜!」と思うだけなので実質両方が怒っているガチ喧嘩をしたことはなかったように思います
家を出て行かれたときですら、喧嘩や言い合いはありませんでした
友人たちに言わせると「異常」らしいのですが、それが私と担当の愛すべき「日常」でした

そんなおかしな日常やたのしかったことなどもたくさん書いていきたいので、それを読んで少しでも笑ってほしいです

そして私の担当のことが好きな女は途中で勘付いて爆死しろ
以上


肉塊ちゃん

ブログ開設。

ブログを書くのなんて、何年ぶりだろうか

思えば中学生の頃は、好きなアニメの感想をブログに書いて、ネットの友人と共有していました
ネット越しに知り合う友人は、私と趣味が似ていて、話していてとてもたのしかったのです

今回もまた同じ動機でブログを開設してみました
あの頃とジャンルは大きく変わって、私が今人生を賭けてハマっているのは担当、という1人の人間で、
そしてその「担当」はホストクラブで働くホストです

Twitterは担当との惚気や、被りや仕事の愚痴を発散するツールとして使っていたのですが、
それに共感してくれたり、こんな私を応援してくれたりする人がいる、今や私の大切な居場所です

ただ言葉選びが下手な私には140字という制限内で自分の気持ちを表すことは多少難しく、どうすればこの気持ちを発散できるだろう、人に発信できるんだろう、と考えた結果、ブログ開設に至りました

それともう1つ
私自身がいつでも読み返して、そのときの気持ちを思い出せるように
私たち人間には記憶力があります
ですがそのときの感情というものは、記憶しようと思ってできるものではありません
1つ1つの感情は、そのときにしか感じられない大切なものです
それを記憶するのではなく、忘れないようにすること
思い出すことができる環境を作ること
それが今の私にできることだと考えました

そしてそれを同じような悩みや気持ちで苦しんでいる人たちに共有したいのです
私を通して、少しずつ自分に向き合ってほしいのです

綺麗事を書きましたが、結局は私の思っていることを人に知ってほしい、私がつらいときに自分で読み返してモチベーションを高めたい、ただそれだけのことです

なのでもし私のような境遇だったり、ただ時間があってひまだったりしたら、ブログに目を通してもらえるとうれしいです
思うことがあればコメント、TwitterでのDMなどください


そしてこの記事を書く前に、担当に対する気持ちを投稿しました
少し前にTwitterに掲載したものをコピペしただけなのですが、そのときの気持ちを忘れないように、早速活用させてもらいました
自分への戒めです

たのしいこと、つらいこと、たくさん書きますので、
よろしくお願いします



肉塊ちゃん