私のしあわせについて。

担当が大好きなだけの誰かの、自己満足な日記帳です。これを読んで誰かが何かを感じてくれたらいいな。

クズが大好きな友だちへ。

クズって中毒性すごいよね、っていつもクズが好きな友だちと話します
クズってなんであんなに女に取り入るのが上手いんだろう、たくさん考えても結局好きだから、という結論にしかならない私たちは、相当頭が悪いんだと思います

世間的に見てクズでも、依存気質な女子から見たらすごく良い人なんですよ
依存させてくれる人と一緒にいる時間はすごく心地が良いんです
でもそれも無限ではない、効力が切れるとモヤモヤしてイライラして、それをぶつける相手は依存させてくれるクズで
まるで麻薬ですよね、私は担当はシャブだといろんな人に言ってきました
そういう連鎖で成り立っているのがメンヘラ製造機のクズとクズ男製造機のメンヘラです
安定した人間関係より、メンタルを上下させられる人間関係のほうが依存に陥りやすいのだと、昔何かで読みました
本当にその通りだと思います

家庭環境や周囲の人間関係、異性関係で失敗したりして自己肯定感が極端に低い人は自分を好きにならない人を好きになります
「私なんか」という概念が常に心のどこかにあって、それを埋めてくれる相手というのは自分に釣り合わない人だから
思い通りにならないことに対して「私がだめだから」と自分を追い込むことで自我を保つなんておかしいですよね
それ以外の生き方ができない、本当に救いようのないクズは私たちなのでは、という結論に至りました

1度なくした自己肯定感は簡単には戻りません
それは私が充分に経験してきました
だからそれはむりに克服しようとしなくていいと思っています
自分を正当化する訳ではありませんが、
そんな部分を含めての自分、と認めることが長い目で見たときに変わるきっかけになったりするのではないでしょうか
まずはだめな自分を理解して受け入れる、それが大事だと思います

でもそれを頭で理解するのと、考えて行動するのとでは全然違って、私にはまだ、自分を変えようと思える強い気持ちはありません
他人のために生きていた人生を、明日から自分のために生きよう、と言われても何もできません
自分のためになることが何かわからない、それなら相手のための行動が自分のしたいことだと思えば良いんです
相手が喜ぶと、自分もうれしい
それなら結果、自分のためじゃないですか
だからこれからもクズに依存して生きていくんだと思っています
好きな人のためにがんばれるメンヘラ、かわいいです
クズ上等、クズ最高です
クズがいたからこそ、私は生きています
クズとの出会いがなければ死にたいと思うこともなかったかもしれないけれど、今生きているのはクズのおかげかもしれません
クズに振り回される人生ごと、クズに翻弄される自分ごと認められたら、何か見えてくるものがあります

宣誓、私たちは今日も明日もクズ男のために生きます!



肉塊ちゃん